DIARY

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...... 2008年09月20日 の日記 ......
■ 寂しさは秋の色   [ NO. 2008092001-1 ]
秋晴れですな。

こんばんは、秋は物悲しいから嫌いなレカ郎君です。

さて、今日も暇人。特にすることもねえし・・・ってなわけで、午前中は寝てますわ。起きたっていいことないし。

で、13時半頃起きて活動開始。今日は畑のじいさんですた。
昨日でほぼ収穫を終えた八列トウキビ。それを解体埋葬ですわ。

育ての親の某(それがし)が我が我が子同然の貴公にいざ引導を渡さん!   なんちって。

はじめハサミでやってたんやけど、太いところがどうにも切りにくい。というか切れない。そこで思いついたのが「ナタ」

おお!ナタがあったではないか・・・と思って出してきて使ったらこれがまた・・・面白いほど切れる・・・。
ハサミで細かくして土に埋めたんやけど、切り刻みながらなんだかねぇ〜。だって汁が出てくるんですわ。だから「あ〜まだコイツも生きてんだよな〜」とか思っちゃって。しかもその汁をチビットなめてみたり・・・。ん〜感想は・・・そんな甘くない。
これがなくなるとワシのスペースには何もなくなるし、特に背丈が高くて存在感があったトウキビなだけになくなっていくとだんだん寂しくなってきてね〜。一生懸命育ててきたとうきびを切り刻むのは結構オセンチなもんですわ。
こうやってどんどんワシは寂しくなってゆくのかの〜なんて思ったり。ま、う色々あるわけで・・・。

「寂しさは 秋の色 胸がきしむよ 傷つけ合って生きるなら 愛じゃないから」 (By WANDS 1stシングル 「寂しさは秋の色」より)なんて曲が胸を掠めたり。

切り刻んでおっきな穴を掘ってそこに肥料と混ぜて入れたんやけど、どうにも緑のカメムシがやったらいて・・・。腹立ったので一緒に何匹も埋めてやったわさ。なんなんだおめーは!カメなのか?虫なのか?はっきりせー!

で、最後1本だけ残しておきますた。ってのはまだトウキビが1本残ってるんですわ。あえてこれは取っておこうと。

ついでに畑を起こして肥料を混ぜ込んでおきますた。トウキビさん、土さん、今年も恵みをありがとう・・・と思いつつ。そう、感謝の心を忘れてはいけないのだ!

それから微妙に時間も余ったし明日いこうなんかいけそうもないもんで、ちょっくら行ってきますた。
病院へ・・・。

ってのは親戚のあのおっちゃんがまた病院に入ったもんでの。
今回ははるばる石狩から救急車で来たらしい。熱が1日3回39度〜40度まで出るようになって、その時ってのは死にそうなほどだって言うのよ。で、ご夫人が耐えかねて早朝救急車で来たらしい。
本人は熱さえなければいたって問題ないらしいんやけど、熱が出るとどうにもならんって言うからね。

今度は近くのほうの病院だったもんでちょこちょこっと行けるわけですわ。
し かし・・・。いつもの道を行くと南郷通りに出るのに目の前に交差点があるのに3回信号待ちしても行けない・・・。なにやってんの?みんなどこへ行こうとし てるの?あるいはどこから帰ってきてるの?と思ったんですわ。で、ワシが交差点を渡る時になって見たのはさらに先がえらい渋滞してるって光景・・・。
こらアカンわ・・・と計画変更で迂回することに。
テッテケテ〜っと迂回して交差点を渡った先の国道の交差点から再び今まで来た道に入りなおそうとした時、交差点付近になにやらとっても赤いランプを灯した車が3台・・・あれれ?もしかして・・・

と思ったらやっぱし。

救急車1台、パンダ2台・・・事故ったんかい!

事故車が見当たらないわけですわ。ってことは、事故車1台で歩行者、自転車をひいたかね?って感じ。
ワシもよく通る交差点やけど、左折時ほんと毎回危険を感じるんですわ。
ほんとに特に巻き込みをよく見ないと危なくて危なくて。まあ、ついにやったか・・・って感じですな。

病院に着いてから病室へ。しっかし遠いわ。
増設に増設を重ねてる病院なわけで、駐車場からまず上へ上がる階段がえらく遠い。2階へ上がったら今回は行き詰まりも行き詰まり、どん詰まりの部屋なもんでさらに遠い・・・。しかも複雑。大体中間地点に詰め所の出張所みたいのがあるなんて初めて見ましたわ。

病室へ着くとまあ熱もなくとりあえずは元気やけど、やっぱ抗がん剤の副作用で来てましたわ・・・。ヘアーが・・・。こういう言い方するとイヤラシく聞こえるけどようは頭の毛ですな。
まあまあずいぶん抜けたほかに色が落ちて白髪むき出しになってきたもんで、一気に年取った感じ。髪も短くして言うならば・・・桂文珍?

点滴して以来熱は出てないらしいんやけどね〜。でも前見たときより一層太ももが細ももになっちゃって・・・。
しばし話しておるとメシの時間に・・・。で、なんと久々に食事の世話をしちゃいまして。
持ってきてくれないのよあの病院は・・・。なもんで、食堂に取りに行くか食堂で食うかなわけ。
しかし、点滴おっつけてはるばる延々と先にある食堂へお膳取りに行くのもゆるくないな・・・と思ったもんで、ワシが代行ですわ。
ん〜なんかどっかでこんな体験してたよねぇ〜・・・。

持ってきたらミス・・・。飯がない!

おかしいと思えよレカ郎さん・・・茶碗がひっくり返してあるのを・・・。

というわけで、名札と引き換えなもんで名札と茶碗を持って出直し。
帰りは茶碗に入ったおかゆを手に持って廊下を延々歩きましたわ・・・。
テーブルのセットからスプーン、箸、水の準備まで・・・。慣れてるでしょうこういうの。だってねぇ〜暇人期間中に2シーズン、10日以上もやればね。それに自分のこともあるし。
自分のも人のも、入院患者の食事の世話ばっかしやってるような・・・。
1人で食うのもいやなもんだって言うからワシも一緒にその場でお茶とおやつを飲み食い。
ワ シも患者の立場だったから分かるし、実際の声も聞いてて分かってるんやけど、ほんとに介護とか福祉に必要なのってこういうのだと思うんですわ。まあ介護と かに限らず、人間同士の間がらとかってのはね。なにかこう人のぬくもりがあるものっていうか、人のある光景というかさ。そういうのが必要なんですわ。
だからただ一緒にいてやるだけでもいいし、話し相手になってやるでもいいし、一緒になんか飲み食いして付き合ってやるでもいいし。そういうことがホントに求められることというか、人間として求めてることというか。
こ れは入院患者とか障害者とかに限らずですな。人は1人で生きられないものって言うけど、だからこそ必要と言われなくてもさりげなくそばにいてやるとかさ。 そうすれば人間安心もするし、心強くもなるし、寂しくもなくなるし。だからなんといいましょうな、人のぬくもりを与えてやる、与えてもらうって言うのは人 間としてほんとに大事なこと、必要なことだと思うんですわ。ただいるだけじゃなく、そこに仕事だから・・・とか金のやめ・・・とかではなく、その人のため にいてあげるっていう心がそこになきゃアカンのやけどね。簡単なことなんやけど、出来てないこと、分からないもんですわ。

それが分かると人の心が分かる人になれる、なってるってことだと思うわけですな。逆に言えば人の心を踏みにじるようなことしか出来ないやつは人間のくず、生きてる価値のないやつだし、人の心を分からないヤツも人じゃないとワシは思いますわ うん。

ほんとに人間に必要なのはものでも金でもなく、「心」なんですわ。まあその心を取り扱ってるのが「笑ゥせぇるすまん」やけど。
でもほんと、特に入院患者とか年寄りには大事なことなんやで。それに先が短い人ほどそういうのって求めてると思うんですわ。夜になれば1人だもの。明日生きてるかなんて分からんような時に暗い中1人でいれば不安にもなるし寂しくもなるわな。

んで、18時半頃に下膳して片付けをして・・・(これもよくやったねぇ〜)
帰って来ましたわ。
ま、あのおっちゃん、7月には死ぬって言われてたのにもう9月も後半、もうじきかな〜と心のどこかで思えなくもないし、ここまで来たんだからまだいけるでしょうとも思えるし・・・さてさて。

No.(1290

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