DIARY

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...... 2017年06月15日 の日記 ......
■ チャリは単純なものに限る   [ NO. 2017061501-1 ]
こんばんは、教科書に落書きをする時額に「肉」って大体書いてたレカ郎氏です。

今の子供らはやるのかね?額に肉は。でもあれほどキャラが分かりやすいのもないよな。だって顔に書いてあるんだもの。


さて、まあ治安維持法を復活させたわけなんだが、これに関しては昨日も言ったものの、改めて思うのは報道の仕方がおかしいんじゃないかということ。一番大事だったのは衆議院での採決なわけじゃん。参議院なんて屁の突っ張りにもならん、なんの決定権もないようなもんだから。たとえ参議院で否決されても衆議院で再可決されればそれっきりだからね。おまけに今は衆参でねじれになってないからこういうことすら起こり得ないと。
つまり今や一院制同然の状態で、衆議院での結果がすべてって状態なわけじゃん。だから参議院と特にクッソも仕事しねえ知識もねえタレント議員みたいなのはただたら税金からリーマンが一生かかっても見られないような金額を給料なりでもらってのうのうとしてんだぜ?もっとそういうこと選挙の時考えようよ〜って思うんだけどね。普通ならちょっと許せんぞこれは。

で、何が言いたいかと言うと、報道が共謀罪について大きく報じ出したり内容を詳しく報道しだしたりしたのって衆議院で可決して参議院に送られてからだと思うんだよ。これって手遅れになってから報じたとイコールだと思うんだよな。だから参議院に送られてから大きく報じられるようになったのを見てて「おせーよ!」って思ってたからね。

なんかこの辺も報道と政権が「共謀」してのことなんじゃないかと思わざるを得ないんだよ。見方を変えると報道が最後のあがきをしたとも思えなくはないんだけど。
つまり、参議院に送られてからあれこれ国民の中でも注目されるようになったわけだが、その時にはもう手遅れだったと。
だって要である衆議院で無茶苦茶な議論にもならんような議論して押切で可決した時って参院で議論してた時より報道もしなかったし新聞にも載ってなかったし。ふ〜ん・・・どうしてこういうこときちっと報じないかね?なんて思ってたもの。

たぶん認識度としては参院に送られてからの方が国民に知れ渡ったんじゃない?って思うし。ガンが進行してから気がついたみたいなもんだよ。
こういう手を使うんだ安倍政権は。印象操作がどうのってでんでんは言うけど、お前が一番やってるだろ?って思うし、自分でやってるからすぐ印象操作なんて言葉スっと出るんだろうし。

最も共謀罪が適応されるべき政治家、公務員が適応外、これは参院に送られる前にワシはここをもっと報道せよって言ったけど、これは参院に送られてからも結局大きく報じられることはなかったものな。

俺たちはいい、お前らはダメ、こういうことだからつまり。こういうこういう政権をまだ支持できるかどうかだよ。まだ支持できるって言うやつは信じられないし、あんたは北朝鮮でもやってけるよ・・・って思うし。
なんだか政治がどんどん国民の手から離れ、国民主権がどんどん奪われ、日本がどんどん国際社会から離れ孤立してってるように思えてならないな。どうにも戦前の状況に似てるような気がしてならんもの。最近の動きって主権者に対する振る舞いじゃないでしょハッキシ言って。

アメリカじゃ反トランプ派のやつが議員を狙撃したなんてのがあったりするけど、日本でもこういう人出て来んかね?悪しき安倍政権の連中を狙撃して消しさってくれるようなヒーロー、英雄が。日本を独裁者から救うにはもうこういう手しかないんじゃないかと思うもの。


さて、そんな今日は早いもんで木曜。今週はなんだってまああれこれあったもんで過ぎるのが特に早い気がするな。
で、今日も雨。ほんと内地より梅雨やってるよな。なんなん一体?
そんな中今日はまず行ったのが寿司屋  ってなに!?

いやね、バーさん生誕90周年だったもんでさ、そのお祝いにと思って。
寿司って寿って書くように縁起ものじゃん。それに中にある海老だって縁起もの・・・だったっけ?だからこれがいいぞと思ってさ。
それにちょうど歩いてくるにはいい距離だなと思って雨の中行ったわけ。で、その場で握ってもらって来たんだけど、雨の日ああいうものって持ちにくいな。手にぶら下げると傘から外れるもんで濡れるんだよ。でも傘にぶら下げるわけにもいかないし。一応ケースにも袋にも入ってたから中身が濡れるってことはないものの、袋が濡れても普通の荷物みたいに乱暴に払えないんだよ。ったく余計なもん降りやがって・・・。

しかし今年で90歳、まあ今年2月は危うく迎えられなくなるところだったけど、これで思う。90年前の日本、そして北海道はどんなだったんだべ?と。

今当たり前に飛んでる飛行機だって発明されて30年経ってないと思うんだよ。飛行機が発明されたのって1900年初頭じゃん。クルマだって今みたいに走ってないだろうし、鉄道だって当然SL主体だったわけじゃん。北海道なんてまだ明治から開拓が本格化したわけで、まだまだ原野がいっぱい残ってた時代だと思うわけだよ。
ライフラインだって今みたいに整ってないだろうから、そういう頃から生きてるってのはすごいよな。もしかしてバーさんが子供だった頃って江戸時代生まれがゴロゴロまだいたんじゃねえか?って思うし。

でも生まれたのは昭和じゃん。まあ昭和2年だけど。生まれた元号はワシと同じだったするんだよ。いかに昭和が長かったかがこれで分かるよな。

しかしバーさんも6月15日が誕生日ってことになってるけど、実は6月1日だって説もあったりするんだよ。15日にしろってんでそうしたとかいう話なんだが、今じゃ考えられないよな。そこはやっぱし90年前なんだよ。歳だってほんとに90かわからんぞ。ほんとは95かもしんないし83かもしんないし。推定90歳だからね。発掘されたミイラかよ

そういうことが許された時代だったんだつまりは。免許だってくれって言えばホイって出してよこすような時代だったって言うし。



ってなわけで、ひと仕事終えて戻って来てから今日は車庫に御隠れになるわけだよ。
チャリいじりに没頭することになるわけなんだが、まず今日はワシのチャリから。
おととい分解した結果なぜかシャフトがお釈迦になってたもんで、使ってない車輪から新しい部品が入るまでの間失敬しようってんでそれを引っ張り出して来たわけ。で、見ると26インチだったんだよ。で、あれ?と思ってハブの部分に割れがあったり点検した結果スポークが折れてたりするわけでもないわけ。これってシャフトだけ抜いて使うんじゃなく、この車輪仮の足としてそのまま使えるんじゃないかと。
何から取ったものなのかはわからんけど、とりあえず不備はないぞと。
で、ハブを分解して調べたら、シャフトに削れた跡があったり、中の鉄球に傷があったり、グリースがなくなってきてたりはしたものの、一時的、仮の足としては使えるんじゃないかってことになって、ハブをグリスアップして回してみたら問題ないわけ。そこでシャフトだけ借りるんじゃなく、車輪ごと仮の足に入れ替えることにしたんだよ。
で、車体に入れるとやっぱりなんか片側に寄るんだな。なんぼ調整しても計測してみると片側に寄るわけ。なぜだ!?これが分からない。
まあでもとりあえずタイヤがフレームにこするって状況ではないもんで、仮復旧させて使う分には問題なかろうってんでとりあえず部品が入るまでそれで行くことに。

で、メインである弟チャリの分解整備は、なんだかこっちもおかしいんだよ。ハブナットを増し締めすると車輪の動きが渋い。もうブレーキにグリースも充填しちまって全部ケーブル類も接続してからこれだったもんで、えぇぇぇ・・・とは思ったものの、再度後輪を下ろして調べたら、なんでかこっちもハブがガンガンに締まってるわけ。
そうならないためのロックナットが役に立ってないんだよ。なぜだ?やり方は正しいし、今までもそうやって来てるのになぜ今になってこうなる。
ってかこれ以上の手法はないからね。ってなわけでまた調整のしな直しの繰り返し。
結局そんなんでまあこんなもんだろうと車体に車輪を戻してブレーキ類の接続を終わらせたところでタイムリミット。
どうも弟チャリは整備しにくくて困る。特殊パーツとか多すぎるもの。頼むから単純で普通のやつに乗ってくれ。整備がめんどくさくてかなわん。ただでさえ27インチででかいのにフレームは太いハンドルは高いだからね。ひっくり返すだけでもえらい目に合うもの。


No.4446

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